川﨑万里が今に至るまでの経緯をザックリとお伝えします!
店主、川﨑万里
和歌山県和歌山市出身。
超未熟児で生まれました。
小さくて食が細く、好き嫌いも相当あった
ひ弱な子供時代でしたが
大病気もなく元気に育ちました。
私の母の実家はいわゆる昔の「仕出し屋」
板前さんが作る料理が母の日々のごはんだったらしいです。
そんな訳で
母が私に作ってくれた日々のごはんも
ほとんどが出汁が効いた和食系でしたね。
小学生の時両親が離婚。
(人生色々あるよね)
その後、母は喫茶店を営みながら私を育ててくれました。
鍵っ子となった私は自分が食べるごはんは
自分で作る日々。
あれこれ料理を考えるのは
その頃から好きだったかも。
21歳の時、母と共に
兄が住んでいる愛知県にお引越し。
その頃、私は小学生の頃から習っていた
電子オルガンの講師の資格を取得!
生徒を募集。。。
したものの、仕事と言えるものにはならず
アルバイトに明け暮れる日々。。。
そんな中
[JAZZピアノを艶やかに弾ける自分]
を夢見て東京に住む事を決意!
24歳でした。
恵比寿の4畳半(風呂無しトイレ共同)の部屋にデジタルピアノのみ。
そんな部屋で
初めてのひとり暮らしを始めました。
アルバイトをしながら
週1でピアノのレッスンに通うも
あぁ、私、才能無いなー。
向いてない。。。
「音楽」が「音が苦」に
なっちゃってるわ。
もう辞めよう。。。と苦渋の決断。
その頃、近所にとても気になっていた
[テーブルウェアリース]のお店があり
ふと見たら
[スタッフ募集]の文字が!
ちょうど仕事も探していたので
その一室を尋ねると
そこは料理撮影の為の小道具の
レンタルリースをしているお店だったのです。
そのお店で働くようになり
そこに毎日のようにご来店されてた
我が師匠、板井典夫さん
(現在はマロンとしてご活躍中)
と出会う事に。
私がフードスタイリストとなるキッカケでした。
ある日「アシスタントにならない?」とお声がけいただき
2年半、マロンさんのアシスタントを務め独立!
(師匠、ありがとうございます!)
そして初めてのお仕事が
オレンジページさんの「煮物」の
特集ページでした。
うれしかったなぁ♪
その後も「フードスタイリスト」として
順調にお仕事をいただき
料理雑誌以外にも料理研究家さんやタレントさん、女優さんの料理の本など、
料理のスタイリングのお仕事以外にも
企業との料理開発やパッケージ撮影
その他飲食店の新規立ち上げや
リニューアルのお仕事も
いただくようになりました。
そんな中、徐々に
「自分もお店をやってみたい」
という思いが芽生え
そしてついにスタイリスト業を続けながらの飲食店経営を始める事に!
2008年9月から2024年2月まで
15年半続けたお店の経営は紆余曲折、、、
コロナ禍も経て
思った以上に大変でしたが
本当に数々の貴重な出会いと経験をいただきました。
関わってくださったみなさんに感謝しかありません!
食べることは生きる事
生きることは食べる事
これからの私の人生
食の世界で長く生きて来た私が
経験した事を通じて
食べることの大切さ、楽しさを
沢山の方にお伝えしたい!
毎日の、あなたの「食べる」を応援したい!
そう思っています。
お役に立てたらうれしいです♪
長文、お読みいただき
ありがとうございました!
フードスタイリスト
箱庭店主 川﨑万里